0ではないなら1になるしかない──2019年、末期がんを告げられた夫の今

「0ではないなら1になるしかない」
これは、2019年10月1日。
旦那が肺がんステージ4と告げられたその日の夜に、
私がアメブロに書いた言葉です。
あの日、診察室を出た瞬間から、時間の流れがどこか違って見えました。
頭では受け止めきれず、ただ胸の奥が冷たくしびれているような感覚だけが残っていたのを覚えています。
「どうしよう」ではなく、「どうにかしなきゃ」。
現実を直視するには時間がかかったけれど、それでも何かできることを探さずにはいられませんでした。
2019年10月1日:ステージ4の宣告とその日の日記
2019年10月1日。
病院で医師から、夫が「リンパ転移もある扁平上皮肺がん」であり、すでに胸水も溜まっている状態で手術不可能のステージ4であると告げられました。(および「原発性肺がん腹膜播種」)
私は予想はしていました。旦那は頑なに否定していたけど、ネットで調べる肺がんの症状は全て今の旦那に当てはまっていたし、何より当時の旦那は10㎏は痩せ、顔は面影なくゲッソリとしていた。
「先生、治る可能性はありますか?」私が聞いた。
「治る人は0ではないですが…難しいです」先生は答えた。
その夜、私はアメブロにこう記しました。
「治る人は0ではないけど難しいと先生は言っていた。0ではないなら1になるしかない!」
不安で押しつぶされそうな中でも、希望を信じるしかなかった。
これは、6年前の私が自分に言い聞かせるように綴った言葉です。
治療の開始と記録の中断
その直後から、治療はすぐに始まりました。
内容は、
- キイトルーダ(免疫療法)
- 抗がん剤(詳細はアメブロに記録)
- 治験の薬
この3つの柱による治療です。
当時の私は、少しでも冷静に現状を受け止めたいという思いから、
アメブロで記録を残しはじめました。
治療内容や抗がん剤の種類、副作用の様子などを残しつつ、
「他の誰かの参考になれば…」という気持ちもあったと思います。
ですが、ブログの記録は2020年1月9日で止まりました。
書き続けることが現実を突きつけるように感じてしまい、
続けるのが精神的にしんどくなってしまったのです。
CT画像に映る変化
2019年12月のCT画像では、腫瘍の大きさは約8cm。
その後、治療を続け、2020年4月にはほぼ半分の大きさ(厚みが半分)に縮小しました。
目に見える変化に、ようやく少しだけ希望が持てたのを覚えています。
「本当に効いているんだ」 という思いが、治療を続ける支えになりました。
当時のCTの画像を残していました。それがこちらになります。



医療以外に私たちがやったこと
抗がん剤などの治療の効果は大きかったと思います。
同時に私たちは「自分たちにできることをやろう」という気持ちで生活を見直しました。
実践していたこと:
- 白米は止めて赤ちゃん玄米中心(今でも基本継続)
- 白砂糖の摂取を控える
- 自家製酵素りんごジュース
- びわの葉を使ったお灸とこんにゃく温湿布
- 酵素風呂、びわの葉エキス風呂
- 揚げ物はなるべく控え、揚げるときは必ず新しい油を使用
どれもお金をかけず、2人で協力しながら続けたことです。
とにかく基礎体温を上げていこう。これはいつも念頭においていたこと。
その結果、旦那の基礎体温は35度台から36.5度以上に上昇しました。
これがどれだけ影響していたのかは、誰にもわかりません。
でも、「やれることはやった」と思えることが、私たちの心の支えになっていました。
2025年3月:主治医からの言葉
そして、2025年3月。
主治医からこう言われました。
「もう検査にも来なくても大丈夫ですよ」
6年前、ステージ4と宣告された旦那が、「もう大丈夫」と言われる日が来るなんて。
最後に
このブログを読んでくださった方へ。
もし今、同じような不安の中にいる方がいたら、少しでも心が軽くなるきっかけになればと思います。
私たちは、医学的に証明された方法だけでなく、生活の中でできる小さなことを積み重ねてきました。
どれもお金はかけず、2人で協力しながら続けてきたことです。
今後も、ブログへの反応を見ながら、思い出せる限りのことを追加していけたらと思います。
これは、6年前の私に教えてあげたい言葉です。
「治る人は0ではないなら、1になればいい」
「そして――その1人になったよ!」